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2011年01月25日

受け止める、受け入れる。

最近は、「子どもを認めて伸ばしましょう」とか「褒めて伸ばす」なんて言葉が出回ってるけど、今日は、これの解釈についての僕の考えを書きたい。

子どもを伸ばすのに、「認める」ことも「褒める」ことも大切だと思うが、その定義は何なんだろう。


たとえば、僕が保育現場にいた頃、自分の体操着をハサミで切っている子がいた。

話を聞いてみると、上着の裾のところに他人の名前が書いてあったので、それをハサミで切っていたとのこと。

どうやら、体操着の上着が誰かのおさがりだったらしく、元の持ち主の名前が裾に書かれていたのが気になっていたらしい。

僕は、その子の行動を、認めたし、認めなかった。

意味が分からないと思うが、言い換えれば、その子の思いを「受け止めた」が「受け入れなかった」のだ。

つまり、この場合では、自分の持ち物に他人の名前が書かれていたので切り取ったという「思い」は受け止め、衣服をハサミで切ったという「事実」は受け入れず、指導した。

なんだか、ややこしいが、僕の考える教育理念では重要なことと捉えている。

ここで、この事例で予想できる対応を3つあげてみたい。(極端だが)


1.「あなたがそう考えたなら、それでいいのよ。よく自分で考えられたね。」

2.「なんで、こんな馬鹿な事をしたの。悪い子ね。」

3.「あなたはそう考えたのね。でも、これはいけないことなんだよ。」


1は、その子の全てを認め尊重しているが、長いスパンで見ると、結果、事の善し悪しの判断の見分けが出来ない子どもになると思う。

2は、一見、当然の指導のようにも見えるが、子どもの持っている自己啓発の気持ちを打ち消してしまうことになりかねない。

と言うのも、なんでも頭ごなしに叱ると、何に対しても指示を待つようになる。

そこで3だが、子どもが自分の考えを見いだしたことは「思いとして受け止めてあげる」が、衣服をハサミで切ったという「事実の善し悪しについては受け入れず」に指導するということだ。


しかし、これは僕の教育理念・指導方針であって、これが正しいと言うことではない。


ここで伝えたいのは、「子どもを認める」=「子どもの全てを尊重する」と言うことではないと思うということだ。



by MUNE



Posted by 宮古島男子保育士連合會 the男塾 at 23:34│Comments(0)
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